はじめに
僕は普段、腰痛専門の整骨院で働いています。
いわば“腰のプロ”として仕事をしている立場なのですが、そんな僕が今年のお正月、よりによって 妻の実家でぎっくり腰 になってしまいました。
しかも、妻の兄弟と会うのはまだ数回。
年に1〜2回程度しか顔を合わせない関係で、正直、まだ少し緊張が抜けきらない間柄でした。
そんな中でのぎっくり腰。
ただ痛いだけではなく、いろんな気持ちが一気に押し寄せる出来事でした。
動けなくなった瞬間に押し寄せたもの
妻のお母さんが用意してくれたご馳走をみんなでいただいて、
少しでも役に立てたらと思い、片付けを手伝っている最中のことでした。
「あ、やばいな」と思った瞬間には、もう動けない。
じわっと冷や汗が出てきて、腰から下が自分のものじゃないような感覚。
痛みももちろんキツかったのですが、それ以上に強かったのは、
- 申し訳なさ
- 気まずさ
- そして、不安
でした。
「せっかくのお正月なのに迷惑をかけてしまった」
「よりによって妻の実家で……」
「腰痛の専門家なのに、僕がこれか……」
自分で自分に情けなくなりながら、
心の中はぐしゃぐしゃでした。
ことちゃん(妻)と家族の言葉
そんな僕に、ことちゃんの家族がかけてくれた言葉は、とてもシンプルでした。
「大丈夫??」
「無理しなくていいよ」
「ゆっくり寝てていいからね」
責められることもなく、
場の空気が重くなるわけでもなく、
必要以上に大げさに扱われることもなく、
ただ 自然に、当たり前みたいに心配してくれた のが印象的でした。
その瞬間、胸の奥に張りつめていた緊張が、
ふっと軽くなるような感覚がありました。
「あ、ここは大丈夫なんだ」
そんな安心が、静かに体の中に入ってきたような感じでした。
空気が少しだけ、変わった
それまでの僕は、
ことちゃんの家族と過ごす時間の中で、
どこか「ちゃんとしなきゃ」「変に思われないようにしないと」と力が入っていました。
以前は沈黙が続くと、ただそれだけで緊張してしまうような距離感でした。
でも、この出来事があったあと、
空気が少しだけ、でもはっきりと変わりました。
沈黙が“気まずいもの”ではなく、
ただ“そこに一緒にいられる時間”に変わったんです。
僕の中にも、
- 変に取り繕わなくていい
- 弱いところを見せても嫌われない
- この人たちは、受け止めてくれる
そんな感覚が生まれていました。
それがとても温かくて、
ありがたくて、
安心できるものでした。
この出来事の意味
今回のぎっくり腰は、正直しんどかったです。
身体的にも大変でしたし、精神的にも一度はかなり落ち込みました。
でも今振り返ってみると、
やっぱり 「しんどかったけど、意味があった出来事」 だったと感じています。
それは、
- 頼ることが怖くなくなったこと
- ことちゃんの家族のことを、もっと好きになれたこと
- 「弱さを見せても受け入れてもらえる家族なんだ」と身体でわかったこと
この3つが、自分の中に確かに残っているからです。
おわりに
家族って、「ちゃんとしているところだけを見せる場所」ではなくて、
弱い自分を見せても大丈夫な場所なんだと思います。
今回のぎっくり腰は、痛かったし大変でしたが、
同時に大切なことを教えてくれた出来事でもありました。
しんどかったけど、意味があった。
今は、心からそう思っています。
そして何より、
あの時、優しく受け止めてくれたことちゃんの家族に、
静かに感謝しています。
